Session

ツインレイとセッション


このサイトへ辿り着かれた方の多くは、すでに多くの”情報”に触れて来たと思います。
ツインレイ向けのセッションを、すでに経験された方もいると思います。
人は、自分の納得の行くモノに出会えれば、同じようなモノを更に探したりしません。
つまり、ここへ来た皆さんは、自分の中の”違和感”を拭えなかった方たちです。
本当は、自分で(無意識に)魂の”真実”を知っているのです。

セッション経験者なら頷いて戴けると思うのですが(未経験の方、ゴメンナサイ)
提供者に「その人がレイでなかったら、どうしますか?」と訊かれたことはありませんか?
あるいは「彼とは別に、あなた自身が何かしたいことはないの?」とか。
何故か、あなたが”知りたい”ことに反した質問をされて、心が曇った経験はありませんか?
それは、占い等で”予言”を提供してはいけないことになっているから。
他方では、当たらなかった場合の”免責”でもありますね。
もちろん、提供者は”意図的に”そのような言い回しを使ったのではないでしょうけど。
ツインレイは直感が強いので、そこに”違和感”を覚えてしまうんです。

ツインレイが内包する”エネルギー”は非常に大きいものですが、
分離時代、レイたちはそれを隠して生きて来た為、擬態することに長けているんですよ。
その為、相手のエネルギー値が下の場合、残念ながら容易に騙されてしまう。
それが、ツインレイがセッションジプシーや孤独になってしまう理由。
大抵の場合、レイたちの愛の学びは”恋愛”を通して行うようには、設定されていません。
だから、恋愛ルートの”経験談”を幾ら読んでも前へ進めず、
むしろ、自分はツインレイではないのではないか、という”疑念”さえ抱いてしまいます。
私自身も、そうした”回り道”を経験した一人です。

だからこそ、私は声を大にして言いたい。
ツインレイとツインフレームは、全くの別モノなんだよ!と。
固定された”ツインレイ”の”イメージ”は、後続組を倖せにしないよ!と。
結局、すべての出逢いには、何らかの”意味”があるんですよ。
例え、ツインレイ、ツインフレームではなくても。
思うに、セッションで「彼がツインレイなのかどうか、知りたい」と思う心の奥には、
ふたりが出逢った意味、自分が経験しているモノの正体を見極めたい、が在るような。
それこそが、魂の計画、ある種の”ウェイクアップコール”な訳で。

結果的に、相手がツイン何とかで、恋愛成就もすれば最高だけど、
仮にそうではなくても、自分が得られる”経験値”は、本当に大きなものなんですよ。
文字通り、生きながら”生まれ変わる”レベルのもの。
現実問題、一度フラグ付いたら、何かしらの”結論”に至るまでは終わらないですし。
そういう意味でも、心の奥に封印せず向き合って欲しいなぁ、と思うのです。
どうしても、形のある”結果”にならないと、全部無駄だった、と思いがちだけどね。
結果で判断する成果主義は、分離時代の遺物でしかないですから。
怖れずに、前へ進んで行きましょう(私も含めて・笑)

スピリチュアル界隈お約束の”ライトワーク”も、最初は余り気にしなくていいです。
自分が”倖せじゃない”と感じている時に、そんなコト考えられなくて当然ですもん。
人は、自分に”余裕”が出来て初めて、他の人にエネルギー使えますから。
自分自身を”犠牲”にしてまで、何かを無理にする必要は無いです。
嫌々している時は、成功の上昇スパイラルには入れないですしね。
だから、その辺りは自然発生的に、自分の心が動くまで放置でいいと私は思う。
本当に、この部分こそ、然るべきタイミング(笑)で。
心配しなくても、必要なコトは何れ起こるようになっています。

倖せは、決して”何か”に対する”対価”として支払われる訳ではありません。
何かと交換でないと、倖せになれない、なってはいけない、と思うのは分離意識ですから。
長い長い歴史の中で、人が人を支配する為に”植えつけた”思考なんですよ。
愛は”自己犠牲”ではなく、自分も相手も、世界さえも倖せにする”光”です。
女性性と同じく、否定したり、声高に主張するものではありません。
空や海、太陽のように、ただそこに”在る”ものです。
自然の存在を疑ったり、認める認めないで争うのは、ナンセンスでしょ?
愛も一緒だから。安心して倖せになっていいんだよ、ってコトです。

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